「倒産寸前!地獄を宝に変えた奇跡の企業」の物語  パート2

 

名古屋・岐阜のコピーライター小澤です。

 

2019年2月、あいち産業振興機構主催のセミナーに参加しました。そこで聞いた浅野撚糸株式会社 代表取締役社長浅野雅己氏のお話が胸に響いたので、私のブログに紹介しています。今回は、その第二弾です。

 

「倒産寸前!地獄を宝に変えた奇跡の企業」の物語パート1は、こちら。

 

2007年5月、「驚異的な吸水性」を持つ魔法のタオル「エアーかおる」が誕生しました。浅野社長は、そのタオルを引っさげて、すさまじいほどの営業活動が始まります。しかし、1カ月に100件を超える訪問営業の末、売れたのはたった50枚。そのほとんどが親戚か友人が義理で買ってくれたものだと言います。当時、タオルの単価が数百円の時代にあって、エアーかおるの価格は1000円。地元の営業先からは、「そんな高いタオルは売れない」との冷たい反応だったのは、当然のことかもしれません。

 

再び苦境にたたされた浅野社長。ふと思い出したが、かつて自社の記事を紹介してくれた岐阜新聞のS氏のことでした。藁をもつかむ思いで、東京支社勤務のS氏を訪問。これまでの苦労した5年間について伝えたところ、涙を流して耳を傾けてくれたそうです。「苦労しましたね。浅野さんの話にはストーリーがある。地元メディアが必ず応援してくれるよ」 S氏の協力のもと、プレスリリースをかけたところ、なんと新聞やテレビなどのメディアで大きく紹介されることに。次から次へと支援者が現れることになり、これを機に浅野社長の快進撃が始まります。

 

一筋の光明が差し、快進撃が始まる。

2007年、形勢逆転を願って、東京ビッグサイトへ初めての出展。300万円もかかるという出展料をムダにはできません。出展初日は、まったくゼロの反応だったところ、翌日から声がかれるくらい呼び込みをしていったと言います。その結果、立ち寄るお客さんが増えた中、業界専門誌の社長から言われたことがあるそうです。

 

「浅野さん、あなたの商品には光るものがありも、3年後に世界へ打ってでるべき価値がある。まず世界へ出る前に、日本の売り場で実績を積むこと。そのためには東京ビッグサイトに最適3年、それも年に3回出展し続けること。日本の一流バイヤーは、必ずこのタオルを嗅ぎつけるはず。私のカンに間違いない、必ず成功するよ」

 

しかし、3年間も出展し続ける資金がない。そう悩んでいたとき、経済産業省の支援が決定。結果的に、7年間も出展することができたそうです。まさに、奇跡としか言いようがないでしょう。その後、浅野撚糸は、三越、高島屋、東急バンズ、イトーヨーカドー…、そうそうたる企業との取引に成功。07年に50枚の販売枚数が、14年単月枚数が10万枚を超えていったのでした。

 

浅野撚糸の2007年の売り上げは、全盛期の3分の1まで落ち込みました。それが今では、全盛期をしのぐ勢いとなっているそうです。しかも現在では、中国、ポルトガル、カナダに拠点を置き、まさに世界進出を果たしています。

 

単なる感動物語で終わらせない。

さて、いかがでしたでしょうか、浅野撚糸のサクセスストーリー。たった数千文字だけでは、講演の熱気や感動が伝えられないのが悔しいくらいです。その一方で、「単なる感動物語で終わらせていいのだろうか」という疑問も湧き上がってきました。

 

世の中には、浅野社長のようなV字回復した感動物語を耳にすることがあります。「それは大変でした」「勇気をもらいました」等、いろんな感想があるでしょう。しかし、こうした話を聞いた場合、私個人は事業主の端くれとして「何か一つでも、つかみ取るものはないか」と考えています。そこで個人的ですが、思ったことをつづっていこうと思いますので、ご興味あればお付き合いください。

 

どうして逃げなかったのか。

「このままでいけば3年後で倒産」といわれた浅野撚糸。当時、90年代の好調な業績で借金は完済し、貯金もそれなりにあったと言います。自社が持つ最新機器も高値で売却できるうえに、工場や社屋も立地条件が良く、借り手もあったとのこと。つまり、負担なく廃業できる条件が整っていたそうです。しかし、なぜ廃業しなかったのか。その理由を浅野社長は、こう語ります。

 

「下請けさんが私を信じて、高額の機械を買って、借金を抱えたことへの負い目がある。自分だけ簡単に廃業する訳にはいかない。さらに戦後の復興は、繊維産業によってもたらされたもの。その技術は世界最先端レベルでもある。つまり撚糸分野も同様であり、次世代に残すべき価値ある産業でもある。それを私の手で技術を磨き、次世代へ継承すべき大儀がある」

 

注目すべきは、2つの大儀。どちらも自分だけの目線ではないことです。これまで述べた通り、この先に待っているのは棘の道です。尋常でない状況でも、逃げ出さない、投げ出さない。それをさせたのは大儀があったからこそと言えそうです。

 

ただし、私が同じ状況なら、大儀あっても間違いなく投げ出していたであろう。正直、あきらめずに進む自信はありません。そう考えると、浅野社長の「やり抜く」気質も必要不可欠であると言えるでしょう。

 

今の自分に「大儀」はあるのか。

 

さて、大儀について。改めてわが身を振り替えってみるに、私の仕事には大儀があるのだろうか、と疑問が出てきます。訪れる苦難に簡単にへこたれてしまうのは、単に生活のために仕事をしているレベルではないか。さらに突き詰めて考えた時、私の何ために仕事をしているのか。単に利益さえ上げればいいのか。未来へ向けて突き進む、今の立ち位置で本当でいいのだろうか。さまざまな考えがよぎります。

 

もちろん大儀だけで事業は成立しません。実務レベルの経営を円滑に運営していかなくては、大儀という精神論だけで経営は成立しないのですから。しかし、ブランディングや理念づくりをお手伝いしてきた私は、この大儀があるとないとでは、大きな違いがあると感じています。

 

やはり、核となる大儀があることは、推進力になることは間違いないと言えます。そして、浅野社長のような大儀はなくとも、どんなに小さくでもいいから、自分なりの大儀を持ち、仕事に取り組んでいきたいと思うのです。

 

いまの行動量で満足していいのか。

もう一点、講演を聞いて思ったのが「いろんな手をやりつくす」ということ。できる経営者を見ていると、迅速な行動力とともに圧倒的な行動量をこなしています。浅野社長も同様に、狂気とも呼べるほどの行動量がありました。

 

年間500点を超える試験を繰り返し、1カ月に100件を超える訪問営業…。講演では、この他とてつもない試行錯誤の繰り返しをしていた話もされていました。それらを聞くだけで私は、「行動力が足りなさすぎ」と痛感。少しの行動量でめげていては話にならない、と反省しきりです。

 

さらに講演の中で印象深かったのが、「夢」についての話です。カンブリア宮殿などテレビ出演を数多くされた浅野社長。これまでの苦労について問われると、「苦労を語りだしたら、とめどもないことになる。むしろ夢の話をしている」とのこと。

 

過去に苦労する場面が訪れた時、あえて奥さんと夢の話ばかりしていたと言います。結果、そのほとんどが叶っているのだそうです。夢だけでは食ってはいけない。しかし、夢がなければ、前進もできない。大儀と同じく必要なものだという気がします。これから苦難が訪れても、夢を口にできるようにしていきたい、そう思う次第です。

 

 

なぜ成功できたのか。

最後に。「なぜ成功したのか」との問いに対して、浅野社長は「運が良かったから」と答えます。さらに運を呼び込むエネルギー源は、「徳」であり、いかに「徳」を積むことが大切なのかを説いていました。加えて、「運を導く8つの考え」について記しておきましょう。

 

1. 「自省」…自分の非を認める癖を持つこと。他人のせいにしていては徳が減る。

2. 「大儀」…大儀が正しければ、会社の存続そのものが徳を積むことにある。

3. 「苦労」…苦労することは、慢心という毒素を取り除き、謙虚さの器を創ることになる。

4. 「利他」…まずは他人の利。他人の喜びは徳につながる。

5. 「夢」…夢がある人には、周りから運が運ばれてくる。

6. 「全力」…自ら全力を出し切った先に「運」が訪れる。

7. 「和」…笑う門には福来る。家庭・会社・社会の和合。特に夫婦円満に徳が注がれる。

8. 「感謝」…幸運をもたらしたことに感謝する。それがやがて徳とになって返ってくる。

 

話を聞いて感動したら、もう一歩ふみこむべき。もし、勇気づけられるというなら、自分なりに話の内容を解釈すべきでもある。何が自分に活かせるのか、そうでないのか。活かせそうなら、どのように現場に落とし込んでいくべきか。

 

それが本当の意味での活用になるのではないか、と思います。今回の講演で、どれだけ私の血肉にできるのか、自分に問いかけながら前進していきたいと考えています。

 

ふと冷静なってみたら、いつになく長々と書き綴ってしまいました。個人的かつ稚拙なまとめになっていたような気もします。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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言葉の力をベースに、企業の効果的な宣伝を図るコピーライター&セールスライター。ニュースレターやランディングページ、メルマガなど使い、目先の集客ではなく、本当の意味でのファンづくりをサポート。